
1983年9月26日生まれ 175cm 75kg
鋭いドリブル突破と右足の正確な技術は目に見張るものがある。同じポルトガル出身のテクニシャンと言えば、思い出されるのはクリスチアーノ・ロナウドであるが、彼が高速の跨ぎフェイントを特徴とするのに対し、クアレスマは人を食ったようなプレーを得意とする。ドリブルのクオリティだけを見るなら、ロナウド以上との意見も多い。ラボーナが非常に上手い選手で、UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07のアーセナル戦でラボーナによるループシュートからゴールを狙った。
得意技は右アウトサイドのキック。左サイドから右足で蹴り上げたボールは味方の頭にピタリと当たる。ハリー・ポッターのニックネームを持ち、名付け親は定かではないが、クアレスマの技術を称えて名付けられたものだと推測できる。足の裏を使ってボール捌きを行うケースが多く、そのプレースタイルはフットサルを彷彿とさせる。
175cmと小柄ではあるが、筋肉質でフィジカルコンタクトにも強くシュートもクロスも力強い。また瞬発力と敏捷性に長けており急激な加速とブレーキを可能とし、緩急をつけたテクニカルかつトリッキーなドリブルに応用されている。
気性が荒く他の選手や監督との衝突する場面、また得意のドリブルに執着しすぎる場面がしばしば見られる。が、年々プレーの選択肢が増え、選択の正確性も増してきており、2005-2006年シーズンのリーグアシスト王に輝く等技術的にも精神的にも成長が窺える
スポルティング・リスボンのアカデミーの練習生を経て2000-2001年シーズンにBチームでデビューし15試合に出場。翌2001-2002年シーズンにはトップチームのメンバー入りを果たし、FCポルト戦でリーグデビューを飾ると中心選手として活躍(リーグで28試合出場3ゴール)、今シーズンのリーグとカップのダブル優勝に貢献。続く2002-2003年シーズンも31試合に出場し5ゴールで一躍脚光を浴び、シーズンオフにリーガ・エスパニョーラの名門・FCバルセロナに引き抜かれた。
2003-2004年シーズン、ACミランとのフレンドリーマッチでデビュー、1得点を挙げる上々のスタートを切り、序盤戦は4-2-3-1システムの右ウイングとして先発を任され、ロナウジーニョと共に大きな期待を寄せられたが、若さを露呈し満足のいくプレーは出来なかった。シーズン後半には4-3-3へシステムを変更し純粋なウイングではなくよりフォワード的な選手(ロナウジーニョとルイス・ガルシア)が起用される様になると先発出場の機会が激減した。フランク・ライカールト監督と起用法をめぐって対立し、シーズンオフにはデコとのトレードでFCポルトに移籍する事になった。リーグ戦では22試合に出場(内先発は11試合)し1ゴール。また、シーズン最終週で足の甲を骨折し、噂されていたEURO2004とU-21欧州選手権の両方に欠場することを余儀なくされた。
2004-2005年シーズンは32試合に出場し5得点(リーグ戦2位)、翌2005-2006年シーズンは29試合出場5ゴール。2005-2006年シーズンにはドリブルだけではなくクロスから多くの好機を演出しリーグのアシスト王となり、リーグとカップの二冠に大きく貢献した。活躍が代表監督・ルイス・フェリペ・スコラーリの目に止まり、2006 FIFAワールドカップの予選で招集を受け試合にも出場するものの、本大会のメンバー入りはならなかった。
2006-2007年シーズンにはリーグ2連覇を達成。自身も26試合に出場し6得点を記録し年間最優秀選手を受賞。技術的にも精神的にも成長を見せ、代表も継続的に呼ばれるようになり、左右のウイングとして先発出場も増えた。シーズンオフにはリーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリーや、プレミアリーグのリヴァプールFCといったビッグクラブへの移籍も噂されたが残留し、リーグ3連覇とチャンピオンズ・リーグでの躍進を目指す事となった。
2008年8月に移籍期限ぎりぎりでイタリアの強豪インテルに1860万ユーロ(約29億3000万円)という高額な移籍金、加えてペレのトレードという事で加入した。「ビッググラブでプレーしたい」という本人の希望に加え、インテル監督に就任したモウリーニョが強く求めていた選手の1人であったことから大きな期待をかけられたものの、2008年度はポルト時代ほどの活躍は見せておらず、初めてのセリエAに大苦戦。そのため、ラジオ局のリスナーが選ぶイタリア年間最悪選手賞である「金のバケツ賞」を受賞してしまった。
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